― 若宮さんから私たちへ ―
2022年 9月 9日(札幌)一社 北海道消費者協会 主催
デジタルクリエーター・ICTエバンジェリスト【若宮 正子 氏】
講演は若宮さんの生い立ちから。続く銀行時代は「そろばん」の名手が評価された時代、電算化による急激な社会の《価値基準》の変化で、若宮さんの人生は大きく変わります。その後インターネットで世界は広がり、北欧「エストニア」訪問のきっかけや「電子政府とは?」「電子政府が実現できないのはシニアのせいか?」などを話されます。
若宮さんは戦前(昭和10)に生まれ戦時中に幼少期を過ごされます。《爆撃》も経験し最後の《学童疎開児童》として9歳で親元を離れ長野の山奥生活へ。厳しい食料事情で、終にはおかゆも薄まる飢餓体験も。
食べ育ち盛りに大変な思いをされ「両親がいなくて恋しくなかったか?」と聞かれると「それよりおにぎりのほうが恋しかった」「とにかく食べたかった」と、スクリーンには幼い頃の若宮さんの姿が。
戦後は比較的普通に過ごされますが、家庭の子供全員の進学は経済的に厳しい時代、ご自身を恵まれたと話します。高校に進学し卒業後は大手銀行(旧三菱銀行/現三菱UFJ銀行)にご就職に。時代性として当時の大卒女性に就職口はなく結婚平均年齢は24歳前後だったと言います。
若宮さん曰く「銀行はまるで江戸時代」のよう。そろばんでの計算、通帳の預金者名はペンで手書き、紙幣を数えるのは手指、ほぼすべてが手作業だったと言います。
ご自身を不器用とおっしゃる若宮さんは大変苦労され、先輩から「仕事が遅い」とよく𠮟られ、社内では女性の名前を憶えてもらうことが難しい時代で「おい、そこの女の子」などと呼ばれることもあったとか。
当時は米国NASAでの軌道計算すら恐るべき人海戦術の「手計算」の時代。しかしIBMの巨大コンピュータの登場で「月面着陸」を果たします。そして若宮さんにも遂に手作業から解放される日が。それは既存の評価基準とは別の世界の扉が開いた瞬間でもありました。
若宮さんは行内の機械化やコンピュータ化が進むにつれ叱られなくなります。そろばんの達人も機械には勝てなかったそうです。
よく尋ねられるとおっしゃる「なぜそんなにコンピュータにご執心なの?」との問いに「機械やコンピュータは私にとって恩人のようなもの」と話されます。
その後、若宮さんは仕事や商品のアイデアを多数創出し、上司に認められ所属を異動されます。「機械化が進むと多くの人が職を失う?」ところが日本は高度成長期に突入。むしろ銀行には次々と新しい仕事が生まれ「評価される人」は変わっていったと言います。
当時まだ出たばかりのパソコンとの出会いを「ハマった」とおっしゃいます。購入した機器を3か月程かけて自力で接続。当時はまだ「簡単につないで動く」時代ではありません。
退職後「パソコンがあれば友人と交流できるのでは?」との思いから独習。その後10年ほどお母様の介護生活に。お母様の枕元でも「パソコンがあれば世界中の人と交流できる、インターネットには翼がある」と言われました。
お母様が亡くなられた後はご自身の体験から「高齢者にITは必要」と考え、主にシニア女性をご自宅に招きパソコン教室を開設、その楽しさを同世代の人にも伝えたいと勉強会や講演会活動を開始されたと言います。
2010年、Excelアートの考案がマイクロソフトの耳に入り、TED(テッド)という米国のスペックショウの日本版にスピーカーとしてご登壇。
その後80歳でシニア用ゲームアプリhinadan(ひな壇)を作ったことでアップルCEOから米国でのWWDCにご招待、世界的注目を浴びます。CEOは「なぜアプリを作ったか?高齢者はどこが使い勝手が悪いか?」などと積極的に若宮さんと話されたと言います。
アプリ開発を発端に「人生100年時代構想会議」有識者となり2冊の著書を出版。2018年国連の社会科学委員会で基調講演「なぜデジタルスキルは高齢者にとって必須なのか?(和訳)」の主題で高齢者にとってのICT(情報通信技術)リテラシーの重要性をスピーチされます。
若宮さんは「エストニア共和国」を訪れます。この国は行政手続き99%が自動化された《電子政府国家》です。
訪問の理由は「電子政府国家のエストニアで現地シニアはどう対処しているのか?」この疑問に対する答えを得るためだったと言います。
外務省の基礎データなどによると、
エストニアの首都タリンは旧市街(歴史地区)が世界遺産の美しい街並みで、古くからドイツや北欧の影響を強く受けていると言います。▶ TBS 世界遺産/タリン市
1990年の独立までロシアの実質的な植民地であった、まだ若いこの国を「 自分たちの国を一生懸命に築いているところ」と若宮さんは言われます。
「電子政府」と「行政の電子化」の違いは何でしょう?若宮さんはエストニア→《パッケージ商品》、行政の電子化→《バラ売り》だと言われます。
例えば《納税担当》や《選挙担当》がバラバラに電子化したらどうなるか?その場合「操作手順」も別々で「重複」手続きもあったり、さらには「手続き場所」も別々かもしれない、と。
もし必要なサービスが「纏まり・つながり・重複なく・ワンストップ」で一度に出来たら?これが《パッケージ化》で、そうした国を《電子政府》と呼ぶそうです。
若宮さんはおっしゃいます。「電子政府というのは、どこの国もやりたくてしょうがない、けれどなかなか出来ない」
2019年6月、G20での金融庁のサブイベント「高齢化と金融包摂」に参加、このシンポジウムは「年寄りが金融活動をしないから日本の金融は衰退。もっと年寄りに頑張ってもらわなければ」的なことだったそうです。
ところが活発化以前に「金融教育」という話にしたかったらしいところ、実はそれ以前にネットでの金融取引も困難な実状に「まずはITリテラシーを上げてもらう方が大事なのでは?」という話になっていったとか。
各国パネリストの議論では「もっと電子化したいが年寄りがそっぽを向いちゃうから上手くいかない」という意見が多く「ドイツですら年寄りが動いてくれないから先に進めない」という話が聞こえてきたそうです。
「そんなにどこの国も困っているのに、なぜエストニアはできるんだろう?」後日この疑問を若い友人に質問すると「エストニアの人々は頭が良い。Skypeの会社もその国で作られた」との返答に若宮さんは納得されなかったと言います。
「そうしたものを作るには頭が良い人が数人いれば事足りるが、電子政府は国民全体が参加しなければ出来ない」「エストニアにも年寄りはいるのだから。なぜそっぽを向かなかったのだろう?」と若宮さんの疑問は深まっていったそうです。
《若宮さんについて》
▶ 若宮正子さん >講演を学ぶ-3
▶ 若宮正子さん >講演を学ぶ-4
▶ 若宮正子さん >講演を学ぶ-5
▶ デジタル子ルポ(当日の様子)
▶ 若宮正子さん(メッセージ・履歴)
▶ デジタル子サロン(若宮さんが副会長「メロウ俱楽部」のリンク)